IMDb Movie Review

IMDb.com に投稿されたレビューを日本語化(抄訳)します。

『パラサイト 半地下の家族』階級間の境界を描く

 

f:id:imdbmoviereview:20200118205648j:plain


【ネタバレあり】映画後半が理由でこの映画を好きになれなかったひとたちのために by mysticfall 10/10点

特に後半に不満があってこの映画が過大な評価を受けていると思うひとたちに、自分の解釈を紹介したい。はっきりとした善悪の中心軸となるキャラクターのいる感情移入しやすい映画ではないから、メッセージがうまく伝わらなかったひともいるだろう。なぜ父親がパク社長を殺したのか理解できないというひともいるが、それがなぜかきちんと理解するには会話で何度も出てくる「境界線を超える」という表現の意味を理解しなくてはならない。

 

パク社長は十分に分別のある人間として描かれており、父親に対して公正に接しているように描かれている。しかし、父親が社長のプライベートに首を突っ込もうとして「境界線を超えるな」と警告されたときのように、本性が透けて見える場面がある。ギテクたちが机の下に隠れていたときに明らかにされるように、パク社長は自分たちのことを臭いすら違う、まったく違う生き物かのように見ていたのだ。

 

父親がこのことをはっきりと理解するのは、庭で開かれたパーティーの場面だ。パク社長は地下の住人の臭いに嫌悪感を示し、今まさに死のうとしているギテクの娘を無視して気を失っただけの息子を優先する。パク社長はまったく取るに足らない、どうでもいいものと見なしていたことがギテクにもはっきりわかる。

 

さらに父親は、この2つの家族を隔てる境界線が、単なる礼儀作法や態度の問題ではないことに気づく。この境界線は一家のような「劣った」人間の人生より、「まともな」人間の些細な感情の問題のほうがよほど大事だと決めるものなのだ。

 

ギテクはこのような幻滅と怒りによってパク社長を殺す。寄生虫が宿主の命を吸い取るのと同じように。そしてその後は寄生虫らしく死んだ宿主の死体の影に隠れて、子どもたちのためにパク社長が遺産を手に入れられるときを待つ。

 

本作での悲劇はパク社長やギテクの人間的な欠陥や邪悪さによって生じたのではない。目に見えない手によって引かれる、ひとの社会的立場に基づきそれぞれの階級を分断する境界線が原因なのだ。その残酷な境界線は、富めるものからも、貧しいものからも、それぞれ違うやり方で人間性を奪っていく。そしてこれこそが、この映画が伝えようとしているメッセージなのだと私は思う。

 

すべての映画に社会に対する批評性が求められるわけではないが、でももしこの映画が後半でギアを変え、この社会に内在する深刻な問題に光を当てようとしなかったとしたら、「今年一番の映画」ではなく、単なる犯罪コメディにしかならなかっただろう。(1361人中1265人が役立ったと評価) 

【ネタバレあり】よく見かけた批判への応答として by arib127 10/10点

事前情報ゼロで観に行ったあと、ここしばらく観た映画の中ではベストだと思って次の日にもう一度観に行った。そのあとでみんなの反応を知りたくてネットを見ていたら、同じところを批判する意見をくり返し読むことになった。だからこのレビューはそういう批判に対して直接応答しようと思って書くことにした。

1.金持ち一家と貧乏一家の描き方

登場人物たちの描き方が下手だから、観客を貧乏一家に共感させられず、彼らを詐欺師だと思わせてしまっているという意見を見かけた。それから金持ち一家を悪役としてうまく描けていないから、最後にギテクが社長を殺すのに説得力が欠けているとか、それが当然の報いだと感じられるように描けていないという意見もあった。でも、こういう描き方をしているからこそ、この映画はひとつ上のレベルに行ったんだと思う。

 

たしかに、貧乏一家をいいひとに、金持ち一家を嫌なやつとして描けば観客は感情移入しやすい。でもこの映画はもっと多面的なんだ。貧乏一家に同情を感じても、それほど強いものにはならないようになっている。彼らが仕事を得るために他人を陥れたり、地下の住人に求められても助けるのを拒否するからだ。金持ち一家も無知で無邪気かもしれないが、悪人とまでは言えない。彼らをこのように描くのは、階級間の経済的分断をもたらしているこの社会のシステムに対して批評しているからだと私は思う。社会システムの中にいるひとたちは、完璧な善人でも悪人でもないのだ。

2.パク社長の殺人

この点に関する批判は、パク社長はあのような死に方をしなくてはならないほどの悪人ではない、またはギテクはあんなことしないと考えるひとたちによるものだ。でも、私はギテクはパク社長の「境界線を超えるな」とか、あの臭いに関する行動によって彼を殺したのだと完璧に納得している。

 

庭でのパーティーの日、ギテクたちは自分たちの家を大水で失ったにも関わらず、多くの被災者が出たことを全く知らないパク社長たちのために働きに出てて、彼の妻が「いい天気になったし昨日の雨は祝福みたいだ」と話すのを耳にしている。また、ギテクは自分の息子や娘が死にかけているときに、パク社長が何よりも気を失った自分の息子のことを優先するところ、そして自分と同じ臭いのする地下室の男の臭いに嫌悪感を示すパク社長の姿も目にしていたのだ。

3.貧乏一家が金持ち一家を巧みに騙すところ

この点に説得力がないと感じるひとが多くいるようだ。私はこれがいかに頭が良かったり、狡猾であろうともそれが経済的な豊かさや成功につながるわけではないということを示すものとして理解した。貧乏であるということは、金持ちとは別の戦略や技術、例えて言うならば、サバイバルスキルのようなものが求められるということなのだと思う。だから貧乏でも、機会が訪れたときに、やるべきことをことを見事に成し遂げることはできるのだ。台湾カステラの話にもあるように、金持ちになるためには能力だけではなくて、運も必要なんだろう。

4.この映画は反富裕層だという発想

この批判についてはまったく理解できなかった。むしろまったく反対じゃないか(1でも書いたとおり)。だからこの批判については、すべての映画が主役と悪役、勝者と敗者をはっきり区別して描く必要はないと述べて終えたいと思う。この映画もそうだ。この映画にはいくつものレイヤーがあり、観終わったあとも映画について考えるよう、観客を導くのだ。これ以外の、私がとても気に入った点(特に撮影)に関しては、多くのレビューでも触れられていた。(443人中378人が役立ったと評価)