IMDb Movie Review

IMDb.com に投稿されたレビューを日本語化(抄訳)します。

『ラストレター』(日本版)後半は陳腐だが、広瀬すずの魅力には抗いがたい

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二度作るまでもない、甘く感傷的なラブレター by JAMES HADFIELD 3/5点(JAPAN TIMES)

このところ若者を主役とする恋愛映画の退潮が囁かれている。観客はお涙頂戴の恋愛讃歌や子どもの恋愛物語に飽きてしまったからだというが、まさにその典型と言える『ラブレター』(1995年)を出世作とする岩井俊二の考えは違う。タイトルもストーリーも自身の過去作を彷彿とさせる本作で、岩井はいまも感傷的な恋愛映画の理想を追い求めている。

 

感傷的であることを躊躇しないが本作だが、少なくとも何人かの主演者のおかげでずっと魅力的な作品となっている。1998年の『四月物語』以来の岩井作品出演となった松たか子は、亡くなった姉ミサキを追悼する中年女性ユリを演じる。ユリが姉の死を伝えようと向かった同窓会で、姉と間違われ、売れない小説家となった元同級生のコーシロー(福山雅治)に「いまも君に恋している」と伝えられたとき、事態は複雑になっていく。ユリは真実を告白せずに、ミサキに成り代わって手紙のやりとりを始める。しかし、彼女が自分の住所を隠したため、コーシローが書いた返事はミサキの娘のアユミのところに届くことになる。

 

前半部分ではこうした思い違いのコメディを描くことに映画は成功しており、出演者たちもいきいきしている。松たか子の率直さは、見事な配役となった娘の森七菜と、エヴァンゲリオンシリーズの庵野秀明が魅力的に演じる気難しい夫とうまく調和している。

 

しかし岩井が後半もこの調子で続けられるか観客たちが気にし始めた頃、ユリは唐突に、ミサキの身に何が起きたか調べ始めたコーシローへと主役の座を譲る。そして軽妙だが物悲しい前半の物語は、退屈なメロドラマへと様変わりしてしまう。コーシローは作家としての自信を取り戻す機会をたっぷりと与えられるにも関わらず、ミサキは謎めいた人物のままだ(本作は岩井の小説が原作となっており、この冴えない主役は監督の分身であろう)。

 

本作の時間軸の重なり合いや、中年の主人公が若い頃の忘れられない恋愛を振り返るところは行定勲のお涙頂戴映画『世界の中心で、愛をさけぶ』を思い起こさせる。『ラストレター』のほうが先行きは明るいとはいえ、どちらも同じくらい古びている。

 

コーシローの理想化された恋愛は気高いものとして描かれているが、ナルシスティックで気味の悪いものにも映る。とはいえ、やはり広瀬すずの魅力には抗いがたい。アユミと若い頃のミサキを演じる広瀬すずの演技は完璧なもので、福山演じるコーシローとついに出会う場面はあまりに魅力的だったため、この映画のすべてを許してしまいそうになった。

 

岩井の作品だけあって全体的に美しく撮られているが、映像が作り出すゆったりとした魅力は、無意味なドローン撮影や気の散るカメラの揺れによって損なわれてしまっている。パブリシティの資料では言及されていなかったが、数ヶ月前には同じく岩井が監督した中国語版も制作されている。二度監督するに足ると考えるほど、岩井は本作に思い入れているようだ。しかし、以上の点を踏まえれば、それは一度で十分だったのではないだろうか。

www.japantimes.co.jp

『ラストレター』(中国語版)多すぎるサブプロットが招く混乱

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がっかり。監督たちは芸術性を失ってしまった by euyue 6/10点

2005年の傑作『ウィンター・ソング』を観てからプロデューサーのピーター・チャンのファンだけど、この映画にはもっと期待していた。いい映画には3つの要素が欠かせないと思う。

1.愛の複雑さや繊細さを語る完全な物語

少しサスペンスがあるのはいいけれど、サブプロットが多すぎるても映画が一番伝えたいメッセージから観客の目をそらせるだけだ。残念ながらこの映画がまさにそう。

2.美しい脚本(この映画にはないもの)

中国の古典文学のファンだから、中国語がいかに美しい言葉なのかよくわかる。でも、結末部分での演説は少し冗長だった。メッセージは映画の中ですでに語られていたし、そもそもメッセージ自体が空っぽで、観客を人生や愛といったより大きな疑問について考えさせるようなものじゃなかった。

3.良い笑い

これは絶対に欠かせない。生きることは簡単なことじゃない。少なくとも、特権を持たずに生まれたほとんどのひとにとって。だから誰にとっても笑いは必要だ。映画の後半は気を滅入らせるし、十代の登場人物たちに人生がいかに困難なものか思い知らせるのはあまりに残酷だ。

私には監督たちが大衆性と芸術性のあいだのバランスを探そうとしていたように思える。芸術的には陳腐なものにしかならなかったけれど。本当はそれこそが、いまの中国社会が必要としているものだ。物質的な満足よりも、あらゆる形の芸術や美、愛といったより高次のものが求められている。監督たちは大衆性を追求したために芸術性を失ってしまった。私にはそれが残念だ。(2018年11月11日投稿・5/15人が役に立ったと評価)

 説得力に欠ける by TheBigSick 評価なし

語り方に説得力がない。メインプロットから気を逸らせるサブプロットが多すぎる。それに、語りのペースが意図的に引き伸ばされている。シークエンスや編集がわかりにくい。物語そのものにも説得力がない。姉妹の見た目がまったく違うのだから人違いされるはずがない。(2018年11月11日投稿・8/16人が役立ったと評価)

なんの冗談だ! by MoviesMustHaveLogic 評価なし

映画の脚本はあまりに非条理的で非論理的で馬鹿げている。妹は馬鹿げたことに亡くなった姉の身代わりになって、恥知らずにも自分のことを作家だと主張する怠け者との過去の恋愛を取り戻そうとする。この妹がどうやって姉の同級生たちを騙せたのかもわからない。ふたりが双子だったとしても、いったいどうして誰も彼女の死や葬儀について知らなかったのか? もし姉と同級生たちのつながりが完全に切れてしまっていたのなら、どうして同窓会の案内状を受け取れたのか? 妹は亡くなった姉のふりをした目的がなんだったか、どう言い訳できるのか? 姉の同級生と寝たかったのか? どうしてこんな怠け者に手紙を書き続けたのか? なんのために? 20分観て、私たちはもうこんなくだらない映画を観るのは止めてしまった。なんの冗談なのか!(2018年11月21日投稿・2/12人が役立ったと評価)

 

『パラサイト 半地下の家族』階級間の境界を描く

 

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【ネタバレあり】映画後半が理由でこの映画を好きになれなかったひとたちのために by mysticfall 10/10点

特に後半に不満があってこの映画が過大な評価を受けていると思うひとたちに、自分の解釈を紹介したい。はっきりとした善悪の中心軸となるキャラクターのいる感情移入しやすい映画ではないから、メッセージがうまく伝わらなかったひともいるだろう。なぜ父親がパク社長を殺したのか理解できないというひともいるが、それがなぜかきちんと理解するには会話で何度も出てくる「境界線を超える」という表現の意味を理解しなくてはならない。

 

パク社長は十分に分別のある人間として描かれており、父親に対して公正に接しているように描かれている。しかし、父親が社長のプライベートに首を突っ込もうとして「境界線を超えるな」と警告されたときのように、本性が透けて見える場面がある。ギテクたちが机の下に隠れていたときに明らかにされるように、パク社長は自分たちのことを臭いすら違う、まったく違う生き物かのように見ていたのだ。

 

父親がこのことをはっきりと理解するのは、庭で開かれたパーティーの場面だ。パク社長は地下の住人の臭いに嫌悪感を示し、今まさに死のうとしているギテクの娘を無視して気を失っただけの息子を優先する。パク社長はまったく取るに足らない、どうでもいいものと見なしていたことがギテクにもはっきりわかる。

 

さらに父親は、この2つの家族を隔てる境界線が、単なる礼儀作法や態度の問題ではないことに気づく。この境界線は一家のような「劣った」人間の人生より、「まともな」人間の些細な感情の問題のほうがよほど大事だと決めるものなのだ。

 

ギテクはこのような幻滅と怒りによってパク社長を殺す。寄生虫が宿主の命を吸い取るのと同じように。そしてその後は寄生虫らしく死んだ宿主の死体の影に隠れて、子どもたちのためにパク社長が遺産を手に入れられるときを待つ。

 

本作での悲劇はパク社長やギテクの人間的な欠陥や邪悪さによって生じたのではない。目に見えない手によって引かれる、ひとの社会的立場に基づきそれぞれの階級を分断する境界線が原因なのだ。その残酷な境界線は、富めるものからも、貧しいものからも、それぞれ違うやり方で人間性を奪っていく。そしてこれこそが、この映画が伝えようとしているメッセージなのだと私は思う。

 

すべての映画に社会に対する批評性が求められるわけではないが、でももしこの映画が後半でギアを変え、この社会に内在する深刻な問題に光を当てようとしなかったとしたら、「今年一番の映画」ではなく、単なる犯罪コメディにしかならなかっただろう。(1361人中1265人が役立ったと評価) 

【ネタバレあり】よく見かけた批判への応答として by arib127 10/10点

事前情報ゼロで観に行ったあと、ここしばらく観た映画の中ではベストだと思って次の日にもう一度観に行った。そのあとでみんなの反応を知りたくてネットを見ていたら、同じところを批判する意見をくり返し読むことになった。だからこのレビューはそういう批判に対して直接応答しようと思って書くことにした。

1.金持ち一家と貧乏一家の描き方

登場人物たちの描き方が下手だから、観客を貧乏一家に共感させられず、彼らを詐欺師だと思わせてしまっているという意見を見かけた。それから金持ち一家を悪役としてうまく描けていないから、最後にギテクが社長を殺すのに説得力が欠けているとか、それが当然の報いだと感じられるように描けていないという意見もあった。でも、こういう描き方をしているからこそ、この映画はひとつ上のレベルに行ったんだと思う。

 

たしかに、貧乏一家をいいひとに、金持ち一家を嫌なやつとして描けば観客は感情移入しやすい。でもこの映画はもっと多面的なんだ。貧乏一家に同情を感じても、それほど強いものにはならないようになっている。彼らが仕事を得るために他人を陥れたり、地下の住人に求められても助けるのを拒否するからだ。金持ち一家も無知で無邪気かもしれないが、悪人とまでは言えない。彼らをこのように描くのは、階級間の経済的分断をもたらしているこの社会のシステムに対して批評しているからだと私は思う。社会システムの中にいるひとたちは、完璧な善人でも悪人でもないのだ。

2.パク社長の殺人

この点に関する批判は、パク社長はあのような死に方をしなくてはならないほどの悪人ではない、またはギテクはあんなことしないと考えるひとたちによるものだ。でも、私はギテクはパク社長の「境界線を超えるな」とか、あの臭いに関する行動によって彼を殺したのだと完璧に納得している。

 

庭でのパーティーの日、ギテクたちは自分たちの家を大水で失ったにも関わらず、多くの被災者が出たことを全く知らないパク社長たちのために働きに出てて、彼の妻が「いい天気になったし昨日の雨は祝福みたいだ」と話すのを耳にしている。また、ギテクは自分の息子や娘が死にかけているときに、パク社長が何よりも気を失った自分の息子のことを優先するところ、そして自分と同じ臭いのする地下室の男の臭いに嫌悪感を示すパク社長の姿も目にしていたのだ。

3.貧乏一家が金持ち一家を巧みに騙すところ

この点に説得力がないと感じるひとが多くいるようだ。私はこれがいかに頭が良かったり、狡猾であろうともそれが経済的な豊かさや成功につながるわけではないということを示すものとして理解した。貧乏であるということは、金持ちとは別の戦略や技術、例えて言うならば、サバイバルスキルのようなものが求められるということなのだと思う。だから貧乏でも、機会が訪れたときに、やるべきことをことを見事に成し遂げることはできるのだ。台湾カステラの話にもあるように、金持ちになるためには能力だけではなくて、運も必要なんだろう。

4.この映画は反富裕層だという発想

この批判についてはまったく理解できなかった。むしろまったく反対じゃないか(1でも書いたとおり)。だからこの批判については、すべての映画が主役と悪役、勝者と敗者をはっきり区別して描く必要はないと述べて終えたいと思う。この映画もそうだ。この映画にはいくつものレイヤーがあり、観終わったあとも映画について考えるよう、観客を導くのだ。これ以外の、私がとても気に入った点(特に撮影)に関しては、多くのレビューでも触れられていた。(443人中378人が役立ったと評価)